清張さんが黒住町の住宅へ入居したときから70年。戦後70年の大きな節目の8月4日に地元の黒住町公民館別館で「第1回・足立山麓の松本清張さんを『しのぶ会』」を催すことができましたのは、みなさまのご支援、ご協力のおかげです。心より感謝申し上げます。
まったく経験のない催しへの取り組みでしたが、黒住、菊ケ丘を主にした足立山麓の住民、北九州市・小倉北区役所、清張記念館の連携がスムーズに進み、短期間の準備ながら、手作り感に満ちた「しのぶ会」を行うことが出来ました。参加者は会場いっぱいの約70人。「清張文庫」開設に寄せられた本は440冊余りに上りました。「歩く会」はこれから毎年、この日に「しのぶ会」を開き「ふるさと清張忌」を定着させます。
「清張文庫」は3年後に1000冊でオープンする目標を立てています。
「しのぶ会」の様子はマスコミ各社がこぞって取材・報道しました。テレビ局は当日のお昼から夜までのニュース時間で取り上げ、新聞は夕刊から朝刊にかけて記事が掲載されました。記者、スタッフの皆さん、ありがとうございました。
4日は午前9時20分開館し、清張記念館から提供していただいた清張さんが自宅で執筆している写真の前で皆さんに献花をしていただきました。猛暑が予想されましたので、出席者の同意を得て予定を10分繰り上げ、同9時50分から会を始めましました。
冒頭の3人のあいさつ(要旨)は会報の最後にまとめて掲載しましたので、目をお通しください。さて、本番です。
「しのぶ会」は清張さんに英語を教えた竹野幸一郎さんの長男、襄司(じょうじ)さん(神奈川県秦野市在住)から寄せられたメッセージで締めくくりましたが、「これまでと違う清張像、別の清張さんがいた」と、とても好評でした。終了後に希望者の方のみ30分ほど、小説・随筆に登場する黒住町周辺を散策しました。
「足立山麓の松本清張さんをしのぶ会」の開催にあたり、ご尽力いただいた関係者の皆様に、心からお喜び申し上げます。足立山麓は、多くの史跡や郷土ゆかりの偉人・先人達が足繁く訪れたところであり、取り分け、松本清張さんはこの地に約半世紀住み、作品の中でこの地域を題材にしています。こうした中、このたび、新たに会を立ち上げ、毎年8月4日の清張さんを「しのぶ会」の開催や「清張文庫」開設を目指す活動等に取り組んでいかれるとのことであり、今後も清張さんの足跡を語りつぐ活動を継続していただきますようお願い申し上げます。最後に、皆様のご健勝と、この会の益々の発展を祈念して挨拶とさせていただきます。(代読 企画広報担当課長 中川恵介氏)
本日の「しのぶ会」に多数の方がお集まりになり、清張さんは、没後23年経ったいまでも、住んでおられた地域の方々に本当に愛されているということを、改めて実感しました。地元の方たちから「しのぶ会」を開催するとお聞きしたとき、皆様の熱い思いが伝わってきました。早速、ご遺族にお知らせしたところ、すぐに賛同を得られました。当記念館は、17年前の8月4日、清張7回忌に開館し、毎年8月4日を中心に、開館記念講演会を開催しています。また、松本清張記念館友の会では、清張ゆかりの地等を訪ねる文学散歩、講演会、朗読劇などを実施しています。ぜひ、これを機会に松本清張記念館にも足を運んでいただければと思います。最後に、皆様方のご健勝と「清張さんの道を歩く会」の発展を祈念いたしまして、ご挨拶とさせていただきます。
清張作品に引きずり込まれたのは20歳の頃でした。同時に清張さんには特に親近感を覚え、地元を離れて遠地で新しく作品を読むときは、必ず「自分が小さい頃に同じ町に住んでいた人」、「父と同じ朝日新聞社に勤めていた人」ということが頭をよぎり、「黒住町の風景」が目に泛かんでいました。作家のなかで一番多くの作品を読み、読書人生に大いに潤いを与えてくださったのも清張さんでした。ところが、たまたま出会った「菊ケ丘『語ろう会』」の方たちから「偉大な人にも拘らず、記念碑もなければ、文学忌もない。地元でも何もしていない。不思議ですね」と言われた時は、本当に痛いところを突かれた気持ちになり、特に「地元」の文言が気になりました。このことがきっかけで、「しのぶ会」を開催するようになり、運営母体として「清張さんの道を歩く会」(略称「歩く会」)を設立しました。
これからは、「しのぶ会」の継続的な開催に努めるだけでなく、清張文庫の設立など「歩く会」の各事業目標の実現に向けて活動していきます。