『清張さんの道を歩く会』会報【No.6】

☆ 祝!! 緑綬褒章受章 ☆
 

 平成27年秋から、「黒住公園」を「くろずみ清張公園」に名称変更するため、「歩く会」と「黒住町の4自治会=新黒住、黒住町1町内、黒住町2町内、黒住町3町内の各自治会=が合同で署名活動を行い、北九州市へ要望した結果、平成28年春、「くろずみ清張公園」に改称されましたので、公園愛護会の名称も、公園名改称と同時に「くろずみ清張公園愛護会」に改称しました。その改称直後に、図らずも、「くろずみ清張公園愛護会」が、「平成29年春の褒章」で栄えある「緑綬褒章」を受章すると云う、<驚き>と<慶び>の記念すべきニュースがありました。環境美化奉仕団体「くろずみ清張公園愛護会」の団体受章で、社会奉仕活動に対する功績です。

 
「くろずみ清張公園愛護会」は環境美化活動で、昭和53年・58年・平成4年・7年に「市長表彰」受章、平成8年に「建設大臣表彰」受章と過去5回も表彰されているように、会員の皆さんたちの努力の積み重ねで公園がきれいに整備されてきました。今回の「緑綬褒章」は愛護会制度が始まった昭和38年以来、愛護会会員の半世紀以上にわたる地道な努力の結晶です。

 平成29年(2018年)5月16日午前中、愛護会代表者(小松康希)が東京霞が関の「国土交通省」での伝達式に出席し、石井国土交通大臣(各種審議多忙で政務次官が代行)から、「褒章の記(賞状)」を、 1個人9団体の代表として拝受しました。

 午前中伝達式終了後、国交省ビル会議室で昼食をとり、午後、国交省から貸し切バスで皇居に移動。皇居内の豊明殿で天皇陛下(御身体の調子が優れず皇太子殿下が接見され、天皇陛下のお言葉を代読されました)に拝謁の栄を賜りました。

 平成29年(2018年)6月13日、「くろずみ清張公園愛護会」の会員18名のうち8名(うち7名が『歩く会の会員』)で北九州市役所を訪れ、北橋市長に「緑綬褒章受章」の報告をしました。「誇るべき活動で、受章は市にとっても名誉なこと」と称賛してくださいました。
 緑綬褒章受章発表から市長への報告までの様子は、西日本、毎日、読売の各社が報道してくださいました。有り難うございました。

 「愛護会」の≪愛護会活動≫と「歩く会」の≪清張さんの顕彰活動≫は全く別のものですが、「歩く会」と同公園は深い関係にあります。改称後の1年間、「くろずみ清張公園」は訪れる人も多くなり、会員の愛護会活動への取組意識はこれまで以上に高まりました。
 また、平成27年から地元(黒住町)で、❶8月4日に清張忌開催(平成28年からは、足原市民センターで開催)、❷記念公園づくり=「黒住公園」を「くろずみ清張公園」へ改称、❸清張文庫づくり、❹紙芝居上演活動【当時の松本清張さんの生活の一部を記録型紙芝居で紹介】等、「清張さんの顕彰活動」に取り組んでいます。
 この2つの活動を行っている時に図らずも受章できたことは、地域の誇りであり、このうえない慶びであり、今後の活動の励みになります。≪永年の活動:愛護会活動≫と≪新しい活動:清張さんの顕彰活動≫が合致し相乗効果を生んでいます。2つの活動は一連のものとしてとらえ、「くろずみ清張公園」を綺麗にし、地域を快適で住みよい環境にしていく考えです。

☆ 旧・松本清張邸訪問 ☆


 伝達式の前日の5月15日、清張さんの長男「陽一さん」に緑綬褒章受章報告をするため、かつて清張さんがお住まいだった東京都杉並区の松本邸を訪問。「陽一さん」は旧松本清張邸に隣接した敷地にある別の建物にお住まいです。当日は、北九州市立松本清張記念館「友の会」の行事「春の文学散歩」で東京地区の清張さんゆかりの地を訪ねるツアーに、松本邸を訪問する時だけ同行させていただきました。
 「陽一さん」とは、昨年12月、清張記念館「友の会」主催の「生誕祭」で初めてお会いして以来、私が上京し松本邸を訪問しての再会なので、少し驚きの表情で思い出してくださいました。緑綬褒章受章の話をしたところ、「小松さん大変なことになりましたね」と大きな驚きとともにお祝いの言葉をいただきました。
 同建物は、松本清張記念館内に書斎や書庫・応接間を≪清張さんが亡くなった当時の状態≫で忠実に再現するため、一切の装備を「北九州市」に移したので2階建ての広い建物内は≪がらんどう≫でした。「陽一さん」が元の書斎や書庫など各部屋を案内してくだいました。元書斎の部屋の説明を聞いているときは、いくつかの<作品の題名>を思い出し、写真でしか知らない「清張さん」ですが、煙草をくわえて構想にふけっている顔が目に泛かび、一瞬感慨に浸りました。約1時間の滞在でしたが思い出に残るひと時になりました。
 「陽一さん」に、昨年3月18日付の朝日新聞北九州版の「くろずみ清張公園」改称記事のうち、「長男陽一さんが取材に書面で応じた記事の内容」=「黒住町から朝日新聞西部本社まで30分かけて歩き、新聞社の食堂で父からカレーライスをごちそうになったときの情景が印象に残っています」について、「30分かけて歩いた道筋」を質問したところ以下の回答でした。
 「ずいぶん前(60数年前)のことなので、よく覚えていませんが・・・・・、(黒住町から歩いて)『競輪場』を右に見ながら『消防署』のある広い通り(十三間道路=現・国道3号線)の交差点まで行き、そこで右に曲がり、しばらく歩いて『足立(あだち)中学校』を右に見ながら、そのまま広い通りを行くと『朝日新聞社』に着きました」と正確な記憶の回答でした。
 『黒住町』から『朝日新聞・西部本社』まで行く主な道筋は3通りありますが、「陽一さん」は、お父さんの「清張さん」が旧・国鉄添田線を歩いて朝日新聞社に通勤していた道筋と違う、当時、黒住町(旧・黒原営団)の中学生が徒歩で通っていた通学路を「足立中学校」まで行き、「中学校」から「朝日新聞社」まで「十三間道路=現・国道3号線」を歩く道筋を利用していました。「陽一さん」は鉄橋もある危険な鉄道の線路は避けて、道幅の広い整備された安全な道路を利用して朝日新聞社まで行っていました。


☆ 2つの「清張文庫」と「しのぶ会」 ☆


 一昨年8月4日の第1回「しのぶ会」から始めた献本活動は、本年6月末現在で53人の方から計1,193冊の寄贈がありました。皆様のご協力に感謝申し上げます。
 「清張文庫」は『足原校区まちづくり協議会』が運営し、足原市民センター内に『あしはら清張文庫』として開設します。▼開設式は、来る8月4日、足原市民センターで開催の「第3回・足立山麓の松本清張さんを『しのぶ会』」で行いますので是非ご参加ください。
 『足原市民センター』が日常の貸出と返却業務を行います。貸出しは、来館された全ての希望される方が対象です。書架に全作品1,000冊を配架できないので、年3~4回に分けて配架します。清張作品の貸出・返却業務以外の一切の管理業務は、「まちづくり協議会」の組織の中に新設する『清張文庫・実行委員会』が担当します。
 さらに、霧丘中学校・図書室に『きりがおか清張文庫』を開設します。同校は昭和35年、「足立中学校」から分離して創設され、黒住町は「霧丘(きりがおか)中学校」の校区になり現在に至っています。中学校の図書の貸し出しは、現在は在校生徒と先生に限られていますが、1日40名の生徒が図書室を利用していますので、清張作品を若い世代へ知らせるには良い機会と考えます。開設は今秋予定で、開設式には、「清張作品を読むきっかけになれば」との考えで、「くろずみ一座」による「菊が丘『語ろう会』」制作の「清張さんの歩いた道」の紙芝居上演会を提案しています。
 なお、両文庫に『清張』名をつけることについては、松本清張記念館を通じ松本家から書面で承諾をいただいています。


☆ 紙芝居上演活動」 ☆


 昨年の「しのぶ会」で、「菊ヶ丘『語ろう会』」が制作した記録型紙芝居「足立山とオリオン座 清張さんの歩いた道」を上演(参加者80名)したのが始まりで、その後、11月に足原校区・社会福祉協議会主催の『サロン活動(ご近所さんとお茶を飲む会)足原カフェ』(35名)、12月に松本清張記念館「友の会」主催の『松本清張生誕祭』(40名)、今年2月にデイ・ケア施設『あおぞらの里』(30名)、3月にデイ・ケア施設『のぞみ苑』(25名)、4月に『城野団地自治会』(40名)で計6回の上演会を行ないました。上演後は皆さん「清張さんを身近に感じるようになった」などと言って大いに喜んでくださいました。「城野団地自治会」上演会の時は、米軍撮影の黒住町や米軍城野キャンプ地(現・城野団地)が載っている航空写真をもとに話がはずみ、より楽しい紙芝居上演会になりました。今後は、紙芝居活動の回数をもっと増やす取り組みをします。

☆ 引き続き≪献本≫のお願い ☆

 蔵書拡充のため献本活動は今後も継続しますので、不要になった清張作品の蔵書をお持ちの方は献本をお願いします。献本に関するお問い合わせは下記までご連絡ください。

〒802-0056 北九州市小倉北区黒住町13-16 小松 康希 
☎= 093-922-8618  📱= 090-3416-9055  
【PCメール】=520914komatsukohki@jcom.zaq.ne.jp


【2018年(平成29年)6月30日 小松康希)