『清張さんの道を歩く会』会報【No.9】改訂版

☆ 第4回「足立山麓の松本清張さんをしのぶ会」開催 ☆
 

 今年も、猛暑の中、多くの皆様のご支援、ご協力を得て、第4回「足立山麓の松本清張さんをしのぶ会」を、開催できたことに感謝と御礼を申し上げます。
 また、平成27年「第1回しのぶ会」後から始めた<清張さんの顕彰活動>は、多くの方たちのご協力により、昨年11月、第1次目標<しのぶ会の継続開催><記念公園づくり=「黒住公園」を「くろずみ清張公園」へ名称変更><清張文庫づくり=「あしはら清張文庫」設立(足原市民センター内)、「きりがおか清張文庫」設立(霧丘中学校内)><紙芝居上演(菊が丘「語ろう会」制作 「清張さんの道を歩く」)>を達成することが出来ました。心より御礼申し上げます。
 今回も、「しのぶ会」の様子は、マスコミ2社=小倉タイムス、朝日=に報道していただき有り難うございました。


☆ 「しのぶ会」進行と内容 ☆


 8月4日、9時30分開場。会に先立ち、松本清張記念館ご提供の<清張 芥川賞受賞の頃 黒原の自宅で>の写真の前で皆さんが献花後、「歩く会」世話人の田中聖子さんの司会で「しのぶ会」が始まりました。参加人数は79名。まずは、3名の来賓の方がご挨拶されました。要旨は以下の通りです。

★ 北区役所・総務企画課・企画広報担当課長・藤島研二郎様 ★

 昨年、設立した清張文庫は、この地に住み執筆活動をしていた清張さんとその作品に多くの住民の方が親しみ、ふるさとへの愛着と誇りに繋がる素晴らしい取り組みと考えます。今後も清張さんの足跡を語り継ぐ活動を継続することを期待します。北区役所としても、区民の方々と協働して、各地域の特色を活かしたまちづくり・にぎわいづくりを進めています。


★ 北九州市立・松本清張記念館・事務局長・在間順一様 ★

 足原校区は、清張さんが、実質デビュー作の「西郷札」、芥川賞受賞作の「或る『小倉日記』伝」などの作品を執筆された時に住まわれていた地、いわば、清張文学の原点とも云える地です。▼「歩く会」の皆様は、清張さんの残した足跡を次の世代に継承し、また、地域の誇りとして語り継いで行こうと<公園の名称変更><清張文庫開設>など着実に成果を上げました。心から敬意を表すものです。▼是非、末永く活動を続け、清張文学がより幅広い世代に読み継がれていくことを願っています。


★ 足原校区まちづくり協議会会長 中村義雄様 ★

 町の代表として「この町をよくするために何が大事か」ということについて、うれしいことが2つあります。一つは、この地に松本清張さんが暮らしていたことを地元の「歩く会」の皆さんたちが大事にしている。もう一つは、町には4つの活動レベルの校区があります。<レベル1>は、大変といって何もしない校区。<レベル2>は、やることは皆と一緒のことをしようとする校区。<レベル3>は、役員を中心とした町のリーダーが新しいことを提案する校区。<レベル4>は、私たち役員がお願いしたのでなく、黒住町のように、住民の方たちが中心となって、清張さんを誇りに思い、この町を良くしようと、新しいことをする校区です。私の求める素晴らしい校区です。感謝申し上げます。

 

☆ スライドによる歩く会「活動のあゆみ」報告 ☆


 平成27年8月4日、松本清張さんの功績を称える目的で取り組んだ、第1回「しのぶ会」開催以降、「清張さんのふるさとづくり」として、2大事業【❶記念公園づくり❷清張文庫づくり】に取り組み、❶<記念公園づくり>は、「黒住公園」を「くろずみ清張公園」に改称するよう北九州市に要望し、平成28年4月1日付で実現、同年4月に改称除幕式を行い、町内や近隣校区から約200人の人達が参加されました。 ❷<清張文庫づくり>は、平成29年8月、地元「足原市民センター」内に「あしはら清張文庫」を設立し、同年11月、清張旧居跡から徒歩1分の距離にある「霧丘(きりがおか)中学校」に「きりがおか清張文庫」を設立しました。これで、第一次目標を達成することが出来ました。皆さんのご協力に感謝申し上げます。そこで、「歩く会」の田中聖子と小松康希が「活動の歩み」(19コマのスライドで報告)と「今後の課題」を報告しました。今後の課題は下記の2つです。
 ❶『紙芝居上演』=地元で清張作品の普及に繋がつればと期待して上演活動回数を増やします。また、清張さん以外の地域に関連した記録型紙芝居も紹介することで、地域づくりや地域の歴史と文化の伝承につながる活動もします。
 ❷『証言収集』=平成25年、清張旧居が解体され黒住町に清張さんを語るものは何もなくなりました。当時の清張さんや家族の方たちを知っている人も、ほとんどいなくなりました。時々、有望な人の名前を聞き訪問しても、お会いできなかったり、すでに亡くなっていたりして、残念な思いをしたことも何度かありました。そこで、当時の清張さんや家族の方たちを知っている人にこだわるのではなく、清張さんを含めた<昭和20~40年代>の<黒住町および周辺地域>の歴史を調べるため、当時の写真を集めることから始めています。皆様の、ご協力をお願い申し上げます。

➡➡同活動の成果は、はかどらないので、平成27年から始めた活動で収集した証言を「松本清張さんと家族の思い出(仮題)」として紙芝居制作に変更し、今年の「しのぶ会」で上演する予定でしたが、新型コロナ・ウイルスの影響で延期しています。コロナの終息を待って、「松本清張さんの道を歩く会」初のオリジナル作品の上演です。


☆ 文芸誌「九州作家」代表・中尾三郎様・講演 ☆


 文芸誌「九州作家」代表の中尾三郎様が、地元ならではの話として、清張作品「黒地の絵」の批評について講演されました。
 『舞台となった米軍城野キャンプから約300mの場所に清張が住んでいたから同作品が生まれ、その後の社会派作家活動に大きな影響を及ぼした。▼昭和25年7月11日、朝鮮戦争に出撃直前の追い詰められた精神状態にあった黒人兵は、小倉祇園太鼓の音に刺激され、米軍城野キャンプから集団脱走し、周辺の住宅街で暴動を起こし、足立山麓にも逃げ込んだ。この事件をモチーフにして「黒字の絵」を発表したところ、社会的反響が大きかった。▼このとき清張は推理派作家、社会派作家など、どういう方向に行くか分からなかったが、同作品が結果的に社会派現代史家につながった。その後、社会派作家として日本における米軍占領政策への批判とGHQに対する抵抗を感じてきた。それが、帝銀事件、松川事件など日本の黒い霧事件の発表に発展した。この頃になると、立派な推理作家でありながら立派な歴史家でもあった。▼黒人兵脱走暴動事件は、北九州市小倉北区(旧・小倉市)で発生した悲しい事件であったが、清張作品の素地となり社会派作家としてのデビューはこの地にあった』・・・と「黒地の絵」の舞台となった地元住民としては特に興味のある話でした。


☆ しのぶ会に参加した感想  ☆

●劇団青春座 代表 井生 定巳(いおう さだみ)様から、「『清張さんの道を歩く会』の活動は、いつも敬服しております。<しのぶ会の開催><公園の名称変更><清張文庫の開設><紙芝居の上演>など、地道に成果をあげて来られました。移ろいやすい時代、次の世代に伝えたいものです。今後ますますのご活動を期待しています。お疲れ様でした」と、お礼と激励のメッセージをいただきました。
●下関市立大学 経済学部教授 叶堂(かなどう)隆三様から、「このたびは、しのぶ会に出席させていただきありがとうございました。大変興味深い活動に接することができました。松本清張氏の本は繰り返し読んでいる好きな作家です(何度読んでも内容を忘れてしまうため、いつも新鮮です)。その松本清張氏をベースにする地域活動は本当にユニークで、感心いたしました。私はここ5,6年、長崎の宗教コミュニティーの研究をしています。そうした研究のなかで、文化(宗教を含む)を中心にした活動が地域社会で果たしている意義に言及していく必要があるなあと感じていました。こうした関心からも『清張さんの道を歩く会』は非常に興味深い活動と思いました」と、お礼と激励のメッセージをいただきました。
●歩く会 会員 谷 明夫様から、「第1回・しのぶ会から参加させてもらっていることを、うれしく思っています。毎年、少しずつ変化をつけ良いものを作り上げようとするスタッフの方々に感銘します。皆さんが地域の誇りとして活き活き行動しているのが印象的で心強く感じました。10名のスタッフの皆さんの支えがあるから、素晴らしい「しのぶ会」が運営できるのでしょう。心強いですね。次の時代に必ず伝えることが我々の使命です。「しのぶ会」にほんの少しだけでも関わっていけたらと思います。来年また会えるのが楽しみです」と、スタッフの励みになる内容のメッセージをいただきました。【完】

 

★同会報は、<会報【No.9】>【2018年(平成30年)8月15日】を、一部加筆・修正しました。


改訂版【2020(令和2年)10月10日 小松康希】