清張さんの道を歩く会・会報【No.12】
≪昭和の文豪「松本清張さん」ゆかりの公園に名称由来の碑≫

祝!! 「清張さんの碑」完成


 2020年(令和2年)3月30日、北九州市出身の作家「松本清張さん」が、かつて暮らした北九州市小倉北区黒住町(旧・小倉市黒原営団住宅)にある「くろずみ清張公園」(「清張旧居」から徒歩2~3分の距離)に、名称の由来を説明する碑が設置されました。


右側:名称由来の碑


御影石に貼り付けられた銅板には、

と刻まれています。
 2016年(平成28年)、「黒住公園」を「くろずみ清張公園」に改称するよう、市に要望し実現した後も、「名称由来の碑」の設置は、地元だけでなく遠方から来訪した人たちからも強い要望がありました。そこで、2018年(平成30年)、「足原校区まちづくり協議会」を通じ、さらに市へ要望したところ、今般、碑が設置されました。皆さんの思いに応えるように、<清張さんの功績>と<黒住町とのつながり>が簡明に説明されています。
 碑の完成により、再び公園を訪れる人が多くなりました。見かけた3場面を紹介します。最初は、3人の小中学生の兄妹が、碑文の前に立ち、中学生の兄さんが声を出しながら碑文を読み、2人の妹さんたちは聞いていました。次は、2人組の男子高校生が碑文を読んだ後、2人ともスマホで碑文を撮影していました。最後は、散歩中の老夫婦が碑文を読んだ後、ご主人が碑の傍に奥さんを立たせ写真を撮っていました。今後も多くの人たちが公園を訪れ、<清張さんの功績>と<黒住町とのつながり>を認識することでしょう。広く皆さんに知らせる効果は極めて大きいと期待します。
 今般「名称由来の碑」が設置されたことで、2015年(平成27年)から取り組んできた松本清張さんの顕彰活動は一区切りつきました。そこで、これまでの一連の活動と今後の取り組みをお知らせします。


清張さんのふるさとづくり


 碑文にあるように、黒住町は「清張文学の原点、発祥の地」です。ところが、2013年(平成25年)8月、その黒住町から突然、「清張旧居」が解体され、「地域の重要な文化遺産」が消滅しました。もともと「文学碑」や「文学忌」などなかったので、清張さんを語るものが一切なくなりました。
 当時の清張さんや家族の方の面影や生活ぶりは、僅かな人たちの記憶の中だけになってしまい、世代が替わり新しく黒住町に移って来た人たちの中には、清張さんが住んでいたことさえ知らない人も増えてきました。そのうえ、「地域の重要な文化遺産」が消滅しても、地元では再興に関連した構想の提言はありませんでした。このままでは『清張さん』が地元から忘れられてしまうと、危機感を覚えました。「あまりにも残念無念!! 」……と、他所の地区の任意団体からも指摘されました。そこで、昭和を代表する文豪『松本清張』さんが≪この町に住み作家活動を始めた場所≫であることを≪広く皆さんに伝え≫≪次世代にも伝えよう≫と、顕彰活動を始めることにし、黒住町から情報発信することにしました。
 旧居再興を希望する声もありましたが、膨大な費用がかかるので今の時代に現実的でありません。そこで、「物より文学(作品)」を取ることにし、ほとんどお金をかけない「リユ-ス(再利用)」方式で、地域の特色である「清張さんのふるさとづくり」を進めていくことにしました。運営母体として「清張さんの道を歩く会(略称:歩く会)」を起ち上げました。取り組んだ事業概要は以下の通りです。


【1】「足立山麓の松本清張さんを『しのぶ会(清張忌)』を、

   2015年(平成27年)から毎年開催。

【2】<清張さんのふるさと>を≪特色ある地域づくり≫に生かし、
   2つの≪地域づくり事業≫
    ❶≪記念公園づくり≫

    ❷≪清張文庫づくり≫ 

   に取り組みました。

❶≪記念公園づくり≫=「黒住公園」を「くろずみ清張公園」に

  改称するよう、 黒住町自治会員および家族計606名の賛同署名を添えて

  市に要望。2016年(平成28年)4月1日付で改称。同年4月 6日、

  「公園名改称 除幕式」を主催し、<清張さん作詞>の<足立中学校・

  校歌>を同校17名 の生徒が披露。参加した黒住町および近隣町内会

  の200名を超える皆さんが聞きました。「歩く会」の女性会員11名は、

  手作りの紅白の餅をたくさん用意し、参加した皆さんに配りました。


❷-1≪清張文庫づくり≫=「足原校区まちづくり協議会」に対して、

  足原市民センター内に「文庫」 開設を要望し、同協議会が

  「あしはら清張文庫」を開設。

❷-2≪清張文庫づくり≫=「清張旧居」から「通用門」まで徒歩1分の

  距離にある「霧丘(きりがお か)中学校」に「文庫」開設を提案し、

  「きりがおか清張文庫」を開設。全校生徒630名が参加し、生徒による

  記念集会が行われました。「歩く会」の新しい活動、

  「菊が丘『語ろう会』」(小倉北区) 制作の記録型紙芝居

  「清張さんの道を歩く」の上演会を行い、

  <清張さんを次世代につなぐ> 試みに成功。

 なお、蔵書は全て市民、全国各地の協力者の方々の献本で1,300冊超の清張作品が揃いました。ご協力ありがとうございました。


今後の活動


 清張作品普及活動のため、地域調べサークル「菊ヶ丘『語ろう会』」(小倉北区)制作の記録型紙芝居「清張さんの歩いた道」の上演会を行うことにし、「歩く会」の黒住町在住の女性会員11名が、2017年(平成28年)夏、「くろずみ一座」を起ち上げ、すでに活動しています。
 同活動を通じ、松本清張さんの<人となり><輝かしい功績>を語り継ぐことで、清張さんを<地元出身と知らない人たち>にも、清張作品に接するきっかけになり、もっと多く読まれることを期待して取り組みます。
 併せて、地域に関連した記録型紙芝居も紹介し、<地域づくり><地域の歴史と文化の伝承>につながる活動も目指しています。
また、来る8月4日開催予定の「第6回『しのぶ会(清張忌)』」で、初の当会<オリジナル作品>「足立山麓の松本清張さんと家族の思い出」を上演するため、現在制作中です。

おわりに


 「松本清張さん」ゆかりの公園に名称由来の碑が設置され、「清張さんのふるさとづくり」は一区切りつきました。多くの皆様の温かいご支援、ご協力に感謝申し上げます。

 公園および文庫を通じて、ここ黒住町(旧・黒原営団住宅)が「清張さんの文学のふるさと」であることを多くの人に知っていただき、清張さんとのつながりを感じられる場所になって欲しいと願っています。

 「松本清張記念館」から足を伸ばせば、僅か3~4kmで「くろずみ清張公園」に着きます。清張さんが愛した「足立山」は、「黒住町」と隣接の「城野団地」(清張作『黒地の絵』の舞台になった米軍城野キャンプ跡地)から眺めたロケーションが一番美しく、作品のなかで「蝙蝠(こうもり)が羽を広げたような」と表現しています。「くろずみ清張公園」で「足立山」を眺めながら、「西郷札」や「或る『小倉日記』伝」などの名作を発表した<デビュー期の清張さんの息吹>を感じてみませんか。(完)



*清張さんが愛した「足立山」【中央の奥】 



【2020年(令和2年)4月30日  小松康希】