清張さんの道を歩く会≪会報≫【No.13】

★★ 松本清張さん作「千鳥の絵」感想 ★★


松本清張作「千鳥の絵」 北九州市立「松本清張記念館」蔵


【1】「千鳥の絵」の制作経緯


 清張さんと、戦前から親交のあった「江副 鶴一さん」の長女「淑子(よしこ)さん」が、昭和21年(1946年)、小学校の入学祝いに清張さんから直筆の「千鳥の絵」を描いた手作りの画板をいただきました。A3くらいの大きさの固い厚紙(馬糞紙)に、作品や画用紙を入れる麻の布で作られた厚みが1cmくらいのポケットがあり、その布の上に描かれていました。
 画板は時代と共に材質が相当劣化してきたため、10数年前、絵の部分を切り取り、額に入れて保存されてきましたが、現在、大阪府和泉市にお住まいの所有者「間(はざま)(旧姓、江副)淑子さん」から、平成30年(2018年)8月の「しのぶ会」(清張忌)で皆様に披露してくださいと実物を提供してくださいました。披露後、令和元年(2019年)12月、「松本清張記念館」に寄付されました。貴重な絵にとって、保存環境の良い「記念館」で保管される様になり、一番良い形に収まったと考えます。

【2】 画伯 松本清張さんの「千鳥の絵」感想文

小倉北区黒住町 清水 勝次(70歳)


 私は50年間勤務した広告会社を2年前に退職し、黒住町に住み続けて早45年になります。旧・清張さん宅とは目と鼻の先で「くろずみ清張公園」は庭みたいなもので、散歩コースとして利用しています。
 元来、清張さんの作品を論説することは、いかがであろうかと考えましたが、絵画の感想という主旨で私的なエッセーとさせていただきました。
 清張さんと私の接点は、年齢差が甚だあり面識はありませんが、仕事が朝日新聞西部本社の広告部図案担当と、その新聞社の直属広告代理店会社のデザイナー繋がりで同職種だったことです。大先輩の清張さんの話は、広告部の年配の方々との懇親会の宴席で聞かされていました。当時はデザイナーのことを「意匠係」と呼んでいたらしく、図案担当に必要な広告計画の立て方と計画書の作り方を勉強されていたと思われます。コピー作りも小説に共通するところがあると考えます。
 “文豪 松本清張”の小説は好きで、読んでいましたが、直筆の絵画を拝見したことは初めてで、瞬時の感想は「プロとしてデザイナーを生業としていた」ことを、私自身、確信を持ちました。「絵の上手な人だった」と。
 日本画風の「千鳥の絵」は花鳥風月を得意とする光琳派の襖絵師を彷彿させる作風で構図や配色は見事です。鑑賞する人の視線を右上(梅)から左下(水辺)へ移動させる技術は左上部と右下部分の空間を作ることから生まれており、梅の枝の流れの向きから察することが出来ます。余白が醸し出す計算された緊張感は琳派から影響を受けたものでしょうか。中央に岸辺で一羽、凛と片足で佇むリアルな姿の鳥が主役で、背影の梅、水辺のブルーも脇役ながら重厚感があり、この3点がマッチングすることによって春の息吹を思わせる空気感が画面に漂い、白い梅の花が、色彩やかな鳥を浮き出たせています。タッチ(筆づかい)は繊細で且つ、丁寧な仕上りは清張さんらしさが感じ取れます。「大胆なアート、緻密な仕上げ」は、現代に通じる広告作りと同様で、“デザイナー 松本清張”の生き様を見たようで感銘を受けました。

★★ 記録型紙芝居「清張さんと家族の想い出」完成 ★★


 平成27年(2015年)、第1回「足立山麓の松本清張さんを『しのぶ会』」を開催したときは、清張さんが昭和28年(1953年)11月に東京に引っ越されて(家族の方たちは昭和29年5月)からすでに70年ちかくの歳月が流れていましたので、当時の清張さんや家族の方たちの面影や生活ぶりを知っている人はほとんど亡くなっており、日常生活で親交のあった、ごく一部の人たちの記憶の中だけになっていました。更に、新しく黒住町に移って来た人たちの中には、清張さんが家族と一緒に住んでいたことさえ知らない人もおり、忘却の彼方へ消え去るような状況で、証言を集めることも困難な状況になっていました。
 そこで、第1回「しのぶ会」以降集めた証言だけでも、皆さんと次世代の人たちに知らせようと、紙芝居の制作を始めました。敗戦直後の昭和20年(1945年)秋から8年間、清張さんが、旧・小倉市黒原営団(現・小倉北区黒住町)で家族と一緒に暮らしていたころ、日常生活で親交のあった方たち、および、上京後も親交が続いていた方たちとの出来事を中心に紙芝居にまとめました。題名:「清張さんと家族の想い出」。制作:台詞(せりふ)=清張さんの道を歩く会、こま絵=中田博巳(小倉北区黒原在住)。当会<初のオリジナル作品>(16場面)です。
 当初は令和2年(2020年)「第6回しのぶ会」で上演する計画でしたが、新型コロナ・ウィルスの影響で「しのぶ会」は中止。予定していた紙芝居上演も延期になりました。今年こそ、新型コロナ・ウィルスが収束し、「しのぶ会」(清張忌)で紙芝居上演が実現できることを切望しています。そのときは、別途ご案内いたしますので皆さん是非ご出席ください。【完】

【令和3年4月1日 小松康希】